情報共有は、質より量より頻度を重視する
仕事をする上で、チームメイトや上長との情報共有は欠かせない。しかしながら、十分な情報共有をしていると思っていても、チームメイトと上長の保持する情報量に違いが生じてしまい、それにより誤解を招いてしまったというケースは皆さんも経験したことがあるだろう。
私も、このブログを執筆している本日の業務中に、プロジェクトメンバーと経営層とのあいだの情報量の違いによる誤解が判明し、経営層の誤解を解くために上長にフォローしてもらうという事が起きた。
このような思いはもう二度としたくないという自戒の念とともに、皆さんが同じ場面に遭遇した場合のヒントになればと思い、深く掘り下げて考えてみた。ひとつの考え方として扱っていただきたい。
- 情報の量により会話の内容が変わる
当然のことだが、知っていること(=情報)の幅と深さ(=量)の違いが、発言する内容の違いとなる。
担当者レベルの会話であれば、新しい気づきを得たり有意義な時間であったという話にもなるだろう。しかしそれが、経営層である場合は、大幅にその向きが変わってくる。
経営層は、常に最適な意思決定ができるよう質の高い情報収集を怠らない。経営判断をするために必要な情報が不足していると意思決定という経営の仕事ができないからだ。毎日膨大な情報を整理しながらストックしておき、いざという意思決定のために備えておく。それが経営層の仕事だ。
一方で、経営層への情報提供者となる担当者側の状況は大きく異なる。
取引先とは密に連携していたものの、想定していなかった事象が発生する場合もあることから、担当者は、情報の質を選んで経営層に報告しているだろう。この情報を選んで報告するという行為は、担当者の存在価値にあたるため、この行為自体はまったく問題ではないはずだ。
では、問題の本質は何か?
- ストーリーで考える
私は、経営層が情報解釈した時の前提条件と、担当者が直面している今の状況の前提条件が異なる場合に、大きな誤解が生じるのだと解釈している。詳しくは以下で説明する。
経営層はストーリーで物事を捉えることが多く、すべての情報が出揃う前には自分で結末や落とし所を想定している。この勘どころに優れた人物が優れた経営者なのだろう。一方で、担当者からの報告は、経営層が想定したストーリーや結末とは乖離し、まったく別の新たなストーリーで結末となる報告を受ける。この違和感により経営層は自身のストーリーとの乖離部分を明確にする作業を始める。その結果、多くの発生し得る事象は経営層のストーリーで吸収できるものの、吸収しきれない課題があぶり出される。この課題は、当初前提では発生し得ない課題であることから、当初前提とは異なる条件でプロジェクトが進んでいることが判明し、情報量の違いによる認識の違いが顕在化すると解釈している。
- 情報の量の違いを頻度で埋める
担当者側の目まぐるしく情報が変わっていく状況と、経営層の描くストーリーとの前提条件の違いは、情報共有の頻度で埋めるのが好ましいだろう。定例会という形で週に1度でも情報共有の場があれば、担当者も困りごとの相談ができる。また、経営層も自身の持っている情報を常に最新の情報にアップデートできることとなり、最適な意思決定をできるようになる。
整理すればシンプルな話なのだが、なかなか上手くいかないのが仕事の難しさなのかも知れない。
皆さんが同じ場面に遭遇しないのが一番だが、仕事なのでそうもいかないだろう。もしみなさんが同じ場面に遭遇した場合のヒントとなりますように。。
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